この広告は365日以上更新がないブログに表示されます。  

Posted by 滋賀咲くブログ at

2014年11月14日

桜の如く(近現代史・戦いの後に残るもの)タイ編




今日はタイの元首相からの、心に響く表現での第二次世界大戦認識です。

@タイ元首相・ククリット・プラモード

日本のおかげでアジア諸国は独立した。

日本という「お母さん」は難産して母体を損なってしまったが、
産まれた子供たちはスクスクと育っている。

今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。

それは「仁」を成して身を投じてしまった”日本”と言う「お母さん」があった為である。

12月8日は、我々に重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。

更に8月15日はその大切なお母さんが病の床に伏したひである。

我々は決してこの二つの日を忘れてはならない。



、、、タイの国民が如何に日本を想っていてくださるのかがよく伝わる一文ではないでしょうか。


  


Posted by 水口プリン at 12:53Comments(0)

2014年11月13日

桜の如く(戦いの後に残るもの4)南京事件




これも歴史的には中国によるデマ(プロパガンダとして)で、欧米は多数の証拠から中国が言う「30万人の大虐殺」どころか日本軍による非人道的な殺人は一件も無かったと言っています。

日本人はこの事実をしっかり証拠とともに認識する「責任」があります。   そうでなければ命を捨てて未来を守ろうとした先人のみなさんも私達自身も、とんでもない濡れ衣の不名誉を受けることになります。


南京事件とは、
1937年12月13日に松井中将率いる日本軍が3万余りの兵力で、37キロにも及ぶ城壁で囲まれた南京城に戦勝後入城します。

ところが中国は1970年後半に、にわかに「日本軍が南京入城時に20~30万人を虐殺した」と言い出します。   こういう出任せを次々と国際的に吹聴するのが中国の毎度のやり方なんですが、兎に角凄い勢いで拡散させました。   名誉毀損です。

よく歴史を知らない人は、日本人が「20万人も虐殺なんてしてるはずない」と言うと「20万人が虐殺で1万人なら虐殺じゃないの?」「100人なら許されるの?」といいます。

根本的に違いますね。

虐殺そのものがなかったんです。


1・そもそも南京城の中に住民が20万人しかいなかった。
これは国際機関の調べによるもの。  全部殺してしまってようやく20万人で、実際そんなことをしていたとしたら、南京陥落後に外国メディア向けに2度行われた会見で大問題になってますが、そんな話は一切ありませんでした。

2・陥落10日後の人口調査20万人・更に1ヶ月後調査で25万人に。
南京外国人会の調査であり、日本の都合のいい数字ではありません。  驚くべき事実ですよね。
普通に考えましよう。   もしも3万の日本軍という殺戮集団が城壁の中に居るとしたら、みなさんどうしますか?
家族、我が子を守るために必死で城から逃げ出しますよね?   ところが、それどころか増えてます。
3万の殺戮集団が占拠した城内に誰が喜んで入ります?   
なぜ増えたかは至って簡単。  日本軍の統治下での城内の環境が良かったから周辺からドンドン流入したんです。
写真なども多数残ってますが、中国統治下の南京は食料も乏しく、不衛生なうえ、自分たちを守るはずの中国軍の軍人からの略奪も日常。
日本軍は入城直後から城内への食料の配給を開始しました。  治安も改善した事で難民中心に城内に流入したのですね。

3・教科書や資料で虐殺を証明するような有名な写真がある?
近年の研究で中国が証拠として世界的に頒布した写真は南京事件以前に撮された全く違う写真を改ざんして使用していることが判明しました。    滅茶苦茶な話で、こんなことで世界の世論が動かされるとしたら恐ろしい。

4・南京入城の3日後には城内にシカゴデイリーニュースやNYタイムスの記者が存在。
シカゴ紙のスティール、NYタイムスのバーディンですが、敵勢力の報道紙がいた状況下で「戦闘行為に含まれる殺傷以外の殺人の目撃証言は一件も無かった。」と言うことが「市民重大報告」と言うものに記録されている。
常識的見地から行けば、虐殺があれば敵勢力の報道は死に物狂いで証拠を残し、世間に晒します。   なぜなら、それがアジア全土の一般人に対する「日本軍=悪」と言う広告となり、行軍してきた日本軍に協力したり情報を流したりしなくなるからです。
しかし、やってないのですから非道の証拠などあるはずがないのです。     証拠がないなら捏造しようと言うのが中国のやり方。

5・教科書にまでウソの写真載せますか?
載せます。  
教科書には日教組のDNAが色濃く反映されるので、自虐的反日思考を子供たちに植え付けることで、共産主義思考、社会主義精神を浸透させるのに都合がいいのです。   先生って大変な仕事だし応援してますが、日本教職員組合・通称日教組には注意が必要です。  また、教科書すら鵜呑みにしてはいけないことを忘れないでください。   ただ、最近は教科書検定がすこ~し厳しくなりました。

6・これは忘れてはいけません!
南京攻略後に、中国兵士が民間人に変装して潜伏したりドイツの管理する非戦闘エリアに逃げたりがありました。
軍事行動の定石として、潜伏兵の発見や小戦闘は当然ありました。 味方陣地内に敵兵を囲う訳には行きません。
当然戦争ですから、そうした戦争行為の中での殺傷はありました。これはNYタイムスの記者も写真と共に残しています。
そうした戦争行為の中の殺傷と、虐殺を混同しないようしましょう。
武士道精神を重んじる日本軍にとって、無慈悲で卑怯な行為は何よりも忌み嫌うものでした。  事実そうした行為が隊で発生すれば、軍どころか連隊内で「卑怯者」の汚名とともに処刑や処罰を速やかに行われます。      日本の戦争観念の中に「虐殺」と言う発想がないの。

虐殺を繰り返してきた中国だから「日本もどこかでやってるはず」とカマをかけたんでしょう。  


求むるは先人の名誉。

  


Posted by 水口プリン at 18:30Comments(0)

2014年11月12日

桜の如く(近現代史戦いが残したもの3)




日本の大戦に対する意思が最もよく解るのがインドネシア国民の評価です。

@インドネシア元首相・モハメド・ナチール

アジアの希望は植民地体制からの脱出と粉砕でした。

大東亜戦争とは、私達アジア人自身の戦争を日本が代表して敢行したものです。

大東亜戦争と言うものは本来なら私達インドネシア人が「独立」のために戦う戦争だったと思います。   もしあの時私達に軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦ったでしょう。

大東亜戦争とはそう言う戦いだったのです。



@インドネシア元陸軍大佐・ズルキフリ・ルビス

大東亜戦争が契機となって、アジアからアフリカまでもが独立しました。

日本にだけ犠牲を払わせてすまないと思っています。     そして大東亜戦争中の日本軍の特徴は「魂」を持って来てくれた事です。    
我々と苦楽を共にし、農作や各種の技術の初歩を教えてくれ、軍事訓練までしてくれました。



えー、、、まさに大賛辞です。

更に日本の戦争の意味を証明する、日本人が知るべき事実があるのです。

日本国民は1945年の終戦で戦闘は終了したと誤解しています。
違います。

アジアの多くの国は欧米に立ち向かう日本の姿に目覚め、400年の奴隷から脱出するために自らも立ち上がる決意をします。

が!!


オランダを始め近代国家の植民地主義国は終戦直後から何をしたか!!

日本は敗戦はしたものの、イギリス、オランダ、フランス、アメリカ他植民地主義国がアジアの国々の国民に付けて引きずり回した首の縄を全て解き放ち、更に軍事訓練、教育、各種技術提供まで行うことで、アジア各國の自立精神を養いました。

そこに!!


日本の敗北をいい事に、再びアジアに舞い戻り、まるで逃がしてしまった家畜でも捕まえに来るように軍を送り込みました。
この浅ましさ、信じられます?   

そして、何と!!


インドネシアを例に
敗戦でようやく帰国も出来、家族やまだ見ぬ我が子との再会も可能な状況下にも関わらず、
「俺たちは何をしに来たのか?」
「このまま帰国しても誰も責めないが、、、、」
「しかし帰国すれば恐らく再びオランダに侵攻されて彼らは教育すら奪われて奴隷の生活に戻らざるを得ない、、、」と考え、、、

彼らの独立のために戦い続けよう!、、、と決意するのです。
その数インドネシア戦だけでも1000人以上です!!   驚く数ですし、アジア全体ではもっと多くの兵士が「家族との再会も、自らの命も捧げて」独立のために4年も戦ったのです。

4年もの間、植民地の再確保に執着した事にも嫌悪感を感じます。

そして残念ながら半数以上の方々が終戦後の戦いで亡くなりました。

こうした「献身的な貢献と行動」


によって今の当たり前に思えるアジア各國の独立自治があるんです。


中国と韓国朝鮮以外の全てのアジアの国々は親日どころか、「ニッポン大好き、アイシテル」なので、どうか安心してください。

そして実はその独立の気運のおかげで、中国は2000年来西欧からの侵略に怯え、略奪されることから「棚ぼた的」に解放され、(もう奴隷政策は国際的にダメよね?俺も辞めるからみんなも辞めてね?って国際基準に)今の中国があり、そのおかげで韓国は中国からの理不尽な搾取を受けなくなったのです。

倫理的、人道的な現在の国際秩序は、第二次世界大戦と言う悲劇的な歴史を糧に多くの犠牲と共に成立したことを正しく認識しましょう。

犠牲となった先人の皆様の命が決して無駄では無かったと言える未来を作りましょう!!

  


Posted by 水口プリン at 16:30Comments(0)

2014年11月12日

桜の如く近現代史⑩戦いの後に残るもの)インドネシア編




日本の大戦に対する意思が最もよく解るのがインドネシア国民の評価です。

@インドネシア元首相・モハメド・ナチール

アジアの希望は植民地体制からの脱出と粉砕でした。

大東亜戦争とは、私達アジア人自身の戦争を日本が代表して敢行したものです。

大東亜戦争と言うものは本来なら私達インドネシア人が「独立」のために戦う戦争だったと思います。   もしあの時私達に軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦ったでしょう。

大東亜戦争とはそう言う戦いだったのです。



@インドネシア元陸軍大佐・ズルキフリ・ルビス

大東亜戦争が契機となって、アジアからアフリカまでもが独立しました。

日本にだけ犠牲を払わせてすまないと思っています。     そして大東亜戦争中の日本軍の特徴は「魂」を持って来てくれた事です。    
我々と苦楽を共にし、農作や各種の技術の初歩を教えてくれ、軍事訓練までしてくれました。



えー、、、まさに大賛辞です。

更に日本の戦争の意味を証明する、日本人が知るべき事実があるのです。

日本国民は1945年の終戦で戦闘は終了したと誤解しています。
違います。

アジアの多くの国は欧米に立ち向かう日本の姿に目覚め、400年の奴隷から脱出するために自らも立ち上がる決意をします。

が!!


オランダを始め近代国家の植民地主義国は終戦直後から何をしたか!!

日本は敗戦はしたものの、イギリス、オランダ、フランス、アメリカ他植民地主義国がアジアの国々の国民に付けて引きずり回した首の縄を全て解き放ち、更に軍事訓練、教育、各種技術提供まで行うことで、アジア各國の自立精神を養いました。

そこに!!


日本の敗北をいい事に、再びアジアに舞い戻り、まるで逃がしてしまった家畜でも捕まえに来るように軍を送り込みました。
この浅ましさ、信じられます?   

そして、何と!!


インドネシアを例に
敗戦でようやく帰国も出来、家族やまだ見ぬ我が子との再会も可能な状況下にも関わらず、
「俺たちは何をしに来たのか?」
「このまま帰国しても誰も責めないが、、、、」
「しかし帰国すれば恐らく再びオランダに侵攻されて彼らは教育すら奪われて奴隷の生活に戻らざるを得ない、、、」と考え、、、

彼らの独立のために戦い続けよう!、、、と決意するのです。
その数インドネシア戦だけでも1000人以上です!!   驚く数ですし、アジア全体ではもっと多くの兵士が「家族との再会も、自らの命も捧げて」独立のために4年も戦ったのです。

4年もの間、植民地の再確保に執着した事にも嫌悪感を感じます。

そして残念ながら半数以上の方々が終戦後の戦いで亡くなりました。

こうした「献身的な貢献と行動」


によって今の当たり前に思えるアジア各國の独立自治があるんです。


中国と韓国朝鮮以外の全てのアジアの国々は親日どころか、「ニッポン大好き、アイシテル」なので、どうか安心してください。

そして実はその独立の気運のおかげで、中国は2000年来西欧からの侵略に怯え、略奪されることから「棚ぼた的」に解放され、(もう奴隷政策は国際的にダメよね?俺も辞めるからみんなも辞めてね?って国際基準に)今の中国があり、そのおかげで韓国は中国からの理不尽な搾取を受けなくなったのです。

倫理的、人道的な現在の国際秩序は、第二次世界大戦と言う悲劇的な歴史を糧に多くの犠牲と共に成立したことを正しく認識しましょう。

犠牲となった先人の皆様の命が決して無駄では無かったと言える未来を作りましょう!!





  


Posted by 水口プリン at 16:23Comments(0)

2014年11月11日

桜の如く(近現代史⑧第二次世界大戦の歴史、真実)



さて、前話でアメリカ側の軍事面での最高司令官からの歴史認識としての「日本が大戦に向かわねばならなかった理由と目的」を紹介しました。

ただこれを書くと「戦争肯定論」と批難する人が居ますが、「それ本気で言ってます?」と思います。
今の日本の文化水準下で、ましてや自虐史観教育の中で生きてきた日本人たちですよ?

いかなる理由があれ、戦争はいけない!

というのが全ての国民の共通認識でしょ。

わたしが言いたいのは、過去の戦争の正当化などではないし、恐らく今後の主流的な考え方として進んで行く思考だとおもいます。

歴史を正しく認識してこそ、これからの複雑な国際情勢への正しい判断が出来るのだとおもいます。

今日は超ザクッとした世界の流れをタイムチャートでみましょうか。

1400年代~
       スペイン・ポルトガルを先陣に大航海時代始まる。遅れてイギリス、オランダ、フランスも侵略競争に参加

       大航海時代と言えば聞こえはいいが、要は武器や文明に優れた国が、原住民たちが暮らす都市に問答無用で攻め込み、殺戮、強姦、略奪した上に、それらの住民を牛や馬と同等として扱い、奴隷として強制労働させたり売り買いしたりしました。マチュピチュなどで有名なインカ帝国などもとてつもない残虐な侵略と略奪にあった国のひとつ。

1800年代~
       既にイギリス、オランダ、フランス、スペインは既に数百年もの間、アジアの国々インド、フィリピン、インドネシア、ビルマ、やアフリカの国々を資源を奪い、奴隷を狩る場所として陵辱し続け、既に新興国のアメリカもそれに参加し、先進国間で植民地の椅子取り競争が熾烈を極める。

(一方アジアでは)
       中国では常にヨーロッパからの陵辱、搾取を受けながらも、辛くも国としての存在は維持を許される。しかし反面、中国自体は2000年にも渡り、朝鮮地方を「中国の命令のままにあるべき国・属国」として扱い、無数の殺戮や強奪を繰り返し続けた。    この2000年にも及ぶ支配体勢によって韓国の住民の中に中国絶対主義、中国宗主国思考のDNAが宿り、何回ひどい目に遭っても少し優しくされると「中国様~」となってしまう癖が染み付いてしまう。

       そしてぺりー来航以後、欧米の植民地支配欲の凄まじさに触れ、我が身にもその危険が遂に訪れた事を知る日本。   国内での血の涙が出るような葛藤の争いを経て、アジアで初めて自立した近代化を恐ろしいスピードで行うことでギリギリのタイミングで侵略を免れ、国として維持を達成する。

       本当にギリギリの奇跡的タイミングで、もしも開国が遅れ、更に死に物狂いの超スピード近代化が遅れていたら、日本は植民地政策の波に飲まれ、当然文明の進歩、教育などは行われず、プライドも全て破壊されて立ち向かう気持ちも起きなくされていました。    我々は本当は奴隷でしたよ。        ということは、第二次世界大戦は確かに起こりませんでしたが、世界の植民地政策の打破のためにアジアで唯一立ち上がった「日本」と言う誇り高い国そのものが存在せず、未だに世界が植民地を許す社会のままだったかもしれません。

1894年~
       日清戦争
       この頃、ようやく欧米社会とも対等に近い形での社会感と軍事力を確保に至る。   しかし当時、主にロシアが中国、朝鮮及び日本の一部を何とか奪えないかと激しく目論む。一つには世界的な植民地争奪に出遅れ、慌ててアジア南下の欲を出した為かと思われる。    その対ロシアの為には朝鮮の自立が不可欠であった。   当然壁としてで、その為に中国から朝鮮を開放すべく日清戦争が生まれる。

1904年~ 
       日露戦争
       満州を中国から奪い、更にアジア侵略欲に駆られるロシア。  その脅威は確実なもので遂に日本が開放後併合統治した朝鮮半島を巡る争いが始まる。  日本は朝鮮を自国として命をかけて守る決意をするが、相手は世界最強のバルチック艦隊、日本の二倍の海軍戦力と、世界最強のコサック騎兵団を敵に回す覚悟が必要な戦いに。   しかし戦わねば次は確実に日本国領土を狙いに来るのです。


1914年~
       第一次世界大戦
       ヨーロッパでの覇権争いを主眼に置いた戦い。日本も戦勝国として参加。 

1941年~
       第二次世界大戦
      世界的に強国の仲間に日本が入る。  しかし、後進国から飛躍的に強国にまで上り詰めた日本の力を、アメリカを中心に不安視し始める。   そして植民地支配欲など無い日本を危険な国として扱い、アメリカを中心に石油など全ての資源の輸出を止めてしまう。      資源のない日本は追い詰められながらも外交交渉で打開を図り、天皇陛下も最後まで平和交渉を望む。   しかし、欧米はこれを拒否。   飢え死にしか選択肢が無くなった時、遂に日本は開戦するのである。


       我が子がパンのひと切れの供給も断られて、飢えに泣き叫ぶなら立ち上がるのは当然だと言えます。  そして資源の確保のためにインドネシアやタイなどのオランダやイギリスの植民地に進出し、各國を開放しつつ転戦を始めたのです。   戦われた先輩方の名誉のために言いますが、この時の戦いは正真正銘の解放戦で、開放後も日本は植民地化などしていません。    先輩方の名誉は日本人として何があっても守りましょう。


1945年終戦

1948年東京裁判

近現代史⑨につづく  


Posted by 水口プリン at 17:17Comments(0)

2014年11月09日

桜の如く(近現代史⑦戦後に残るもの2)



第二次世界大戦、いわゆる大東亜戦争についての、本当の背景と意味を考えてみたいと思います。

その為の大切な偉人達の言葉を知ってください。  
日本人が教わってこない、真実の姿が見えてくると思います。
最も信頼できる歴史の背景を伝えることが出来る一人。  日本と戦った敵国アメリカの戦地最高司令官の正直な評価です。

@GHQ総司令官・  D・マッカーサー元帥

日本には石油がない、すずが無い、綿が無い、ゴムも無い。
その供給を全て絶たれれば、どんな小国でも戦争を決意する。

日本人は、もし原材料供給を絶たれたら(経済封鎖)1千万~1千2百万人が失業すると恐れていた。 
 それ故に
日本が第二次世界大戦に赴いた目的はそのほとんどが安全保障のためである。(1951・5・3)



@GHQ参謀部長・C・ウイロビー

東京裁判は史上最悪の偽善だ。
もしアメリカが同じ立場にあったとしたら、日本と同じように戦っただろう。


この両人は実際に日本と戦った人々側の、しかも最高責任者達です。
自分の国の兵士も多くを失っており、感情的に憎んでいても不思議でないはずの彼らのこの言葉、、、。

敵であり、勝利側の彼らの認識から紛れもなく読み取れる、「大東亜戦争とは?」




と言う疑問への明確な答えがここに全てあるでしょう。

米国軍でさえ、「日本は戦うしかなかった」「侵略欲、世界への覇権目的で行った戦争ではない」と認識していたのです。

起こした戦争を「間違ってない!!」なんて考えてませんし、私達日本人はどの国の戦後よりも激しい反省と自己嫌悪による自虐的思考の元で暮らしてきたと思います。

そろそろ正しい認識としての大東亜戦争を皆が学び、知る必要があります。
それが出来てこそ同じ失敗をしない未来を作れるのですから。  
なぜあれ程の悲惨な戦争が起こったかを知ってこそ、そんな失敗を避ける知恵や勇気が生まれるのです。
「とにかく俺たちは酷いことしたんだろ?」なんて程度の自虐のみの思考で本物の平和なんて築けませんよね。


近現代史⑧に続く  


Posted by 水口プリン at 21:29Comments(0)

2014年11月08日

桜の如く(近現代史⑥日中)



尖閣問題2

さて、靖国の意義と総理の参拝される心は簡単ながらご理解いただけましたでしょうか。

現代に生きる全ての日本人は、まるで蛇口から吹き出す水のように命を投げ出してくださった300万あまりの先輩、先人達の「犠牲」のおかげで今の豊かな生活をなしています。

恐ろしいことに、そんな大切な、、、そして忘れることを許されないような背景を、、、自覚することすらやめてしまおうとしています。
そのこと自体を「恥ずかしい」と感じなければ、壮絶な、、、そして何一ついい事のなかった時代を戦ってくれた先輩方に申し訳ないと思います。
未来の私たちに命を捨ててつないだバトン。  我々には一生懸命笑い、沢山遊び、心から泣いて、感謝と共に生きる責任があります。
私たちの次の世代の子供たちが、「自分たちの誇れる先輩」と呼んでくれるような、大人らしい大人に、誇りある日本人になりましょうね。

では本題。

そんな靖国参拝をなぜ中韓は文句を言うのか?
ここも結論から言えば、中国も韓国も、国内が不満だらけの国なんです。だから、自分の国以外に向けられる「怒りの矛先」が常にひつようで、もしも国外への不満のはけ口を用意しなければ、あっと言う間に自分の国や政治、政治家自身に向いてしまうんです。
私たちでも、例えば凄く頭に来ることがあっても、新しく別の凄い腹の立つことがあれば二つ同時に同じテンションでは怒り続けられないでしょ?    それですよ。

つまり靖国に参拝しないとしても、結局は他の言いがかりをつけて文句を言ってくるので同じことなんです。


まあ、靖国参拝については中韓はA級戦犯と位置づけられてる方々も(といっても数百万の英霊の中で14人だけですよ)共にお祀りしている場所だから悪い。って理論なんですが、、、そのへんも全く日本人は臆する必要は無いですから、安心して総理の参拝を支援してあげてください。   (そのへんは別の回に説明します)

だって我々の国の総理よ? 中国にビビって靖国参拝しなかった奴らより百万倍も立派で、誇れる総理ですよ。
あ、あたし自民党とか全く関係ないので(笑)ご安心を。


そんなこんなで、尖閣も同じ!!
まだ竹島の場合、韓国の古い地図に韓国領として独島と書いてある資料が少しあつたり(但しこの地図は誤表記なのね(;>_<;))しますが、尖閣の場合、歴史的に中国領を主張できることなんてまーーーーーーったく無いので。
国内向けに問題を作るための滅茶苦茶な言いがかりと、軍事力であわよくば脅し取りたいって言うずるいこんたんですね。

でも問題は、日本の政府が未だに「おめでた主義」だと、竹島と同じことになりますよ?
まさか中国も、日本が日本領として治める島に軍隊で乗り込んだり占拠したりはしないだろーーーー。なんて思ってたら大間違いよ?
脅しじゃないよ?まじで中国は普通にやるよ?   てか、日本より力の弱いインドネシアやベトナム相手には既に占領してるし。
侵略ですよ立派な。
でも不幸なことに、やはり世界の中では強いほうが正しいって理不尽な結果になったりするんです。
経済の分野での発言力と具体的に抵抗して守りきる軍事力がないとみじめな結果になります。   それが竹島ですね。


次はさっきのA級戦犯て?あたりを、、、  


Posted by 水口プリン at 23:51Comments(0)

2014年11月08日

桜の如く(近現代史⑤日中)



太平洋戦争の歴史に行きたかったんですが、日中首脳会談が決まったみたいなんで急遽こちらで。

まず、日中問題といえば今は尖閣領有権と靖国参拝みたいですが、これも結論から言えばいちいち日本が悩んだり出口を探るような必要が全く無い問題であると思いますね。だってこれは中国が出口のない事を問題化しようとしてるだけなんで

一体どうゆうこと? かと言うと

靖国の参拝問題で言えば、、、
なぜ阿部さんは靖国に参拝するか? ですが、周知の通り靖国には様々な戦いで「国民を、愛する家族を、その国を」守りたい一心の元、自らの命を捨てて戦った方々が「お祀り」されています。

いいですか?「お祀り」です。
あそこに遺骨があったりして弔われていると勘違いしていたり、お墓参りみたいに霊魂を弔いに行くことと混同している人が日本人にもすごく沢山いますが、全く違います。   人間の死者は「お祀り」しません。  お祀りするのは「神様」でしょ? そうです、靖国にいらっしゃる「英霊」とお呼びしている戦没者の皆さんは靖国や各地の護国神社においては皆さん「神様」になられ、その皆さんをお祀りしている大切な場所なんです。
なぜ大切なのか?
皆さん、よく考えてみてください。 
 私なんて大変貧しい暮らしですが、それでも夜に家族が当たり前に顔を合わせる。
苦しい毎日ですが、一日の出来事の面白い話で家の中に小さいことでも笑い声が響く。
へとへとな毎日ですが、当たり前みたいに小さい我が子を抱き上げることができる。
人によっては、愛する恋人と待ち合わせでドキドキしたり、親にはナイショで友達と初めてカラオケに行く約束してワクワクしたり、自分の国の首相を他人の前で平気で批判してみたり、当たり前に学校や会社の帰り道でコンビニで買い食いしたり、、、、、、。

でもね、忘れないで欲しいんです。
当たり前の事なんて一つもないんですよ?   

これだけは感じて欲しいです。戦争に行かれた方はみなさん同じですが、特に!!
大正の時代に生まれた皆さんを真面目に、そして一生懸命に想像してみてください。

私たちと何ら変わらない人間ですよ?当然あんなこともしたい、こんなふうになれば幸せだ、あの子が好きだ、一度でいいからあれを食べてみたい、、、、。   と思うに決まってるし、私たちが望む希望や夢からすれば米粒ほどの小さな望みです。
しかし、大正の人々は特に可哀想です。僅か20歳そこそこで戦争に駆り出され、やっとなんとか生きて戻れても国内は貧しさを極め、それでも歯を食いしばり頑張ってもまた戦争、、、、、。戦地で手紙を開けば自分の子供が生まれたと知る、、、、。しかし国のために、家族のために命を捨てて戦う彼らには、「産まれた愛おしい我が子をその手に抱く」と言う、当たり前で小さな小さな喜びも希望も与えられることなく、、、一度もその我が子の頭を撫でてやることすら出来ずに死んでいかれたんですよ?
そして幸い生きて帰れたと思ったら自分の我が子が戦地に取られ、17歳18歳で子供を亡くしたり、、、、。

そんな痛ましく、悲しすぎる、、、いや、実際はもっと悲惨な、しかも無数の犠牲を尽くして頂いたその先に今の私たちの「当たり前と感じてしまっている暮らし」があるんです。
それでも生きて戻れた人は幸せ?
とんでもない。   日本は焼け野原。  仕事も家も食料も何もない。  そんな日本に戻ってきて幸せ?
戦争経験世代のみなさんは、それほど辛い経験の後でも文句を言わず死に物狂いで働き、我慢をし、自らの贅沢をせず、日本という国を驚く程のスピードで世界一の経済大国、世界一の治安のいい国、自然も豊かな安心して暮らせる国を再生したのです。

そして、我が子を抱くことすら叶わなかった方々は、生きて命ある戦友に「靖国で会おう」と残して亡くなっていったのです。

そんな方々故に、皆さんを「神様」とし、残された私たちが感謝して敬い、時には甘えた弱音を吐く自分を戒め、懸命に生きる誓をたて、「ありがとうございます」と手を合わせる

そんな場所が我々日本人にとっての靖国神社や護国神社なのです。


それぞれの国に宗教的価値観がありますので、我々がよその国のよく理解もしていない宗教観や宗教的行いを批難なんかできませんよね?
だって私たちにはわからなくても、その国の人々にとっては意味のある大切なことなのだから。

そんな皆さんをお祀りする靖国に国の最高権威である首相が参拝しないほうがおかしいですよね?
少なくとも価値観、宗教観の違う他国から文句を言われる筋合いがない話なんです。
ところが首相の中には「他国に配慮して」とかで参拝を否定する人がいます。   首相の資質すらないと感じます。
理解できない相手に配慮して国のために、我が子すら抱けずに死んだ英霊に手を合わすことすら見合わすって、どこまで日本人をみじめにするんだよ。

そんなこんなで、靖国の事で他国がとやかく言ったとしても、それは問題にする必要もない話として毅然とした態度で臨めばいいだけのことです。もちろん国対国のことですから経済的な影響が出ることもあるかもしれません。
しかし、携帯代が来月払えなくなったとしても、日本人として戦争に向かわれた皆さんにほんの少し報いるためにと考え、誇りを持って
「そんんなもんほっとけ!!」と言わなければならないと思いませんか?


近現代史⑥につづく


  


Posted by 水口プリン at 16:31Comments(0)

2014年11月07日

桜の如く(近現代史④戦後に残るもの1)

桜の如く

イレギュラーに戦後に発せられた様々な人々からの言葉を発信するシリーズ。

一回目には最も信頼性と真実の姿を感じれるように、韓国の識者の言葉を掲載します。
韓国の人からもちゃんと真実の評価を頂けるのです。韓国人も同じ人間で愛も感動も感謝もくださる善人が大半で、それは今も昔も変わりません。お互い、国の教育によって偏った感じ方を生んでいますが、それは国対国の事であり、人間としての韓国人を批難や差別するのは間違いです。
韓国の先人であり、偉大な学者の言葉から双方の心に真実の一辺と少しの温もりが生まれることを願います。

(韓国・韓日文化研究所・朴 鉄柱)

現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだのである。

それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。

日本の武士道は西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。  それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争、、、。
この二つの戦争が歴史を動かし、転換してアジアの独立をもたらしたのである。

この意義はいくら強調してもしすぎることはない。     大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗れたのはむしろ欧米諸国であった。

彼らはこの戦争によって植民地を全て失ったではないか。

日本は戦争には敗れたが、戦争の目的は達した。   日本こそが勝ったのである。  日本の戦争こそ「聖なる戦争」であった。

ある人は戦争で日本の国土が破壊されたと言うが、それらは回復できた。   二百数十万の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きる国民尊崇対象なのである。


以上。

韓国人学者による中立的で美しい戦後評価に感謝耐えません。
こういう論調はこれまで「軍国主義の美化」、「戦争の正当化」などと歪曲した卑屈な判断で封殺され、子供達への薫陶も教育もまるで「悪いこと」のように滅茶苦茶な理論で隠されてきました。

しかし、今の日本の文化水準と高い価値観の社会で「戦争肯定」や「軍国化」などになるはずがありません。
むしろ正面から正しい、ねじ曲げられていない教育をして、もう一度本当の「日本人独自の誇り高い心」を子供世代に育み、彼らが将来、より難しい世界観の中で「凛」として立ち振る舞えるように育てる時期が来ていると感じます。
  


Posted by 水口プリン at 23:07Comments(0)

2014年11月07日

桜の如く(近現代史③)日韓



もう一つの懸案に竹島の問題があります。
端的になぜ問題となったかと言えば、前述した日本の「自虐的思想」と「性善説主義」による政府のおめでた外交の結果でしょう。国民が善良で美しい精神論を元に行動することは、日本が誇るべき感性です!
しかし、外交と言うのは全く違う常識破りな国との交渉も当たり前にあることを前提に行うべきものです。
その上で相手国に「日本の行動、思考原理の美しさ」を理解し、喜び受け入れるだけの寛容さとそれを維持できる忍耐があると判断した場合のみ両国間にその「善良な美しさ」を適用するべきなのです。   だれかれ構わず善良さを前面に発揮する外交など国際的には愚の骨頂です。

自虐思考から生まれた問題
前述した通り日本にはGHQ下の教育により、「日本人が世界にとてつもなく迷惑をかけた」「その最たる根源は軍国主義である」と一方的に刷り込まれてきました。
それ故防衛の為の軍備の遅れと、いざという時の瞬発的な正しい判断力と決断力、行動力に著しい遅れ、世界に対して顔色を伺う卑屈さが染み付いてしまいました。  結果、おめおめと自国の領土に侵入、居座りを許しました。
結論から言いますが、もう竹島は日本には戻りませんよ?
恐らく国際司法裁判所で争っても、「1967年時点では日本国領と認められるものの、近々の現状、統治状況から鑑みて韓国の主権の元にあると判断するのが妥当である」って辺りの判決が出て負けます。歴史的などんな資料を出しても負けます。
それは、国際的に見て現状の統治、管理状況こそが最も重要な判断基準だからです。港も灯台も造られるまで口ばかりで実際に何の抵抗も取り戻す行動もしなければ、国際的には「自国領土であるなら乗り込まれてなんの抵抗もしないのはおかしい」「やはり日本が内心では韓国領だと認識しているからだと判断するのが妥当」と見られちゃうんです。
ホントは国際紛争も軍国主義の復活も糞もない!速攻で自衛隊の全勢力で包囲に向かいつつ、米軍に理解と協力を国際法の元でもとめつつ、同時に水面下でアメリカの仲裁による調停の画策を最初からやるべきだったと思います。
当時の日米韓関係なら100%戦争になんかならないし、初めから調停の画策をしておけば国際的にも「不戦の姿勢」は後日理解も得られます。そしてあの時点なら調停後の判断は国際司法裁判所に委ねる事になり、100%日本の領土として認められました。
こうして解る様に、必要以上の自虐的発想は大きく国益を阻害します。

性善説主義による弊害
至って簡単な愚かな失策でした。日本は今の尖閣での対応と同じく「自国から灯台建設など刺激を与える行動は行うべきでなく、まさか相手国も軍事力を持ってそれを犯すような国際的非常識は行わないだろう」
と言う馬鹿げたおめでた主義でまんまと竹島に既成事実を与えました。信じられないような幼稚な失策です。
「世の中そんなに悪い奴いないだろう、いくらなんでも」でやられたんですね。


まとめ
当然の事ですが戦争はダメだし、日本こそが世界の最先鋭の不戦主義国であるべきだと思います。
しかし、それは「世界中が世界中に対して善人だ」なんて言う愚かな思想では成り立たないのです。どの国も全てが「自国の国民と領土、精神を絶対的な責任のもとで守る!!」と言う当たり前の発想で国家運営や外交を行うのです。
国民の命を守るため、国民の領土財産を守るため、そしてなにより日本国民特有の美しい精神と信念を守るために時には断固たる決意が必要だし、決断の根源には平和を求める故!!と言う国家の信念が伴わねばなりません。
世界で唯一の共通し得る価値観は間違い無く「平和」なのです。
政治家にはこうした決断を下すとき単に「俺の命一つくれてやる」くらいの気持ちが必要ですが、ほとんどの政治家は来年の給料の心配です。

近現代史④、大東亜に続く


  


Posted by 水口プリン at 14:17Comments(0)